関西だし

<関西だしの特徴と歴史>

  今や東京でも、「関西風だし」と言われる商品や味付けがあちらこちらに見られます。

 では、「関西だし」って、どういう「だし」を指すのでしょうか?一般的に「うどんだし」に代表される「関西だし」は、だし感の強いあっさりとした味と色の薄さが特徴です。

 ちなみに「うどんだし」のように、味付けをしたものも「だし」と呼ぶのは関西の言い方で、関東では一般的に、味付けしたものは「つゆ」と呼んで区別していますが、ここでは関西風に「だし」を使っていきましょう。

 「関西だし」の色の薄さは、「うすくち醤油を使うからだと言われています。
よく言われる都市伝説に、「関西のうどんだしって、色は薄いけど、実は塩分は関東より多いんだよ。」と言うものがあります。まあ、冷静に考えればそんな訳はありません。実際に飲み比べれば、あきらかに関東の「うどんだし」の方が、塩辛いわけですから。

 ではなぜ、こんな噂が生まれたかというと、それは「うすくち醤油」が「こいくち醤油」より塩分濃度が“1%~2%”高いからです。

 この差は、製法上の違いからなのですが、そもそも「うすくち」の漢字は、「薄口」ではなく、「淡口」が正式で、「うすくち醤油」が作られた時、あくまでも素材の色を生かすために、色を淡くしただけなので、「味が薄い、塩分が薄い」と誤解されないようにと、当てられた漢字だそうです。

 醤油の塩分濃度が高いのであれば、やっぱり「関西だし」の方が塩辛いのではと思われるかもしれませんが、実は醤油の使用量が「関西」と「関東」とでは違います。店舗によって分量の差はありますが、「関東」の醤油の使用量は、多い所で「関西」の4倍以上使っており、塩分濃度も倍以上となっています。

 つまり「関西だし」の色の薄さは、醤油の違いもありますが、その使用量の少なさも大きな要因だったわけです。


そして、このように調味料が少なくても、美味しく、だしが作れる秘密が「だし」にあります。その原点は、江戸時代の京都の公家(くげ)文化にあると言われています。公家とは、日本において朝廷に仕える貴族・上級官人の総称で、鎌倉時代に形成され、一時期は大きな力も持っていました。

 しかし武士社会が進むにつれ次第に有名無実化し、江戸時代に入ると公家らは京都の御所周辺に集められ、幕府から保護を受けていましたが、そのほとんどは、貧乏公家と呼ばれる、収入が少なく、十分な食料も買えないような人達でした。ただ、その懐具合に対し、気位は高かったため、地元の産物をわずかな調味料で、豪華に美味しく食べることを探求し、食器にこだわり、薄味で素材の旨さを引き出した「京料理」が生まれました。

 そしてこの時、素材の旨さを引き出す技術の要が、昆布だしをベースとした「だし」だったわけです。「関西」の食文化は、この「京料理」の影響を大きく受けました。特に昆布とかつお節の「合わせだし」の発祥の地と言われる大阪では、比較的裕福な商人の町であったこともあり、「だし」のうま味を活かした薄味の文化が根付いたようです。

 現在では「和食」の「だし」と言えば、「昆布」と「かつお節」の「合わせだし」が当たり前のように関東をはじめ、全国で使われています。

 「関西」で生まれた「合わせだし」が、全国に広まった大きなキッカケとしては、大正・昭和初期に、大阪で生まれた「割烹(かっぽう)」という、料亭のお座敷料理を、カウンター席やテーブル席などで気軽に食べさせるスタイルが全国で大流行したことが挙げられます。この時に大阪から「割烹」のスタイルと共に、全国に大阪の料理人が引き抜かれ、この料理人達によって「関西だし」が広がり、定着したと言われています。